鯉魚料理規式

鯉料理の由来

 性信房は横曽根よこそねの自坊に帰って、遠近おちこちの道俗への教化にいとまもなかった。その頃聞法の人々に混って、一人の人品いやしからぬ白髪の老翁が居って、日を重ねて御房の法座に列っていた。ある日、性信の御房に、「さき頃来、御房のお導きによって、私も幸いに多年の疑いもはらし、今日安心が定まりました。これに優る尊い教えがまたとありましょうか。どうかこの翁をお弟子の一人に加えていただきたい」と、真情がおもてにあふれているので、性信御房も奇特に思われて“性海”の二字を書いて贈られた。翁は非常に喜んで師弟の礼は永く忘れることはないと云って立ち去った。

 座に居合せた人々も不思議な思いから、その跡を見送ったところ、北をさして飯沼いいぬまのほとりを往くと思うほどに、その姿を見失ってしまった。その後の夜、飯沼の天神の神主たちの夢に天神が示現して、「性信のひじりはわが師である。我はひじりのおしえによって、永いあいだの苦悩をのがれ、永世の楽果を得ることが出来た。わが師の洪恩ふかいごおんを謝するために、毎年御手洗みたらしの池の鯉二匹を贈るべし。必ずこのことをたがえてはならぬ」とお告げになった。このことのあったのは天福元年(1233)の頃と伝えられている。今日に至るまで凡そ七百年の間、このことが絶えたことがないというのも、他に例のない奇特なことと云わなければならぬ。

 以来、毎年正月十一日には飯沼の天神社から届けられた鯉を、下総報恩寺の開基上人の影前に供え、ついで東上野の報恩寺へ送られる。東京・報恩寺では十二日午前十時頃から、開基の影前て、厳かに古式にのっとって鯉料理規式が執り行われる。この規式は元来神の方の祭事で寺院ではこのような規式の行われるのは珍らしいとされている。江戸歳事記には社寺の年中行事の一つとして昔から有名になっている。報恩寺のまないた開きと云っているのはこれである。

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